
「Special Thanks」
5/23,24に大阪で行われたグループ展『Still,life #4 Osaka』のWebアーカイブ展を3日間限定で公開します。
各作家によるステートメントや展示の感想を掲載していますのではじめての方だけでなく実際にギャラリーで作品をみていただいた方ももう一度楽しめるようになっています。
◼︎開催場所 gallery rendez-vous
◼︎開催期間 5/30(sat) 20:00 - 6/1(mon) 23:59
Still,life#4 Osaka
ten.
あなたの写真を撮った。
私は背を向けて歩き出す 。
しばらくの静けさを経て、また会えるだろうか、と振り向いた。
その輪郭が消え入るまで、じっと、ただじっと見つめていた。
忙しい日々の、ありふれた景色に心が騒めいている。
まだ、生きている。

mii
日々、写真を撮る中で、
同じものを写していても、
光や時間、そのときの感情によって
まったく違う見え方をすることがあると感じるようになりました。
私たちは物を見るとき、
ただ“そのまま”を見ているのではなく、
一度、自分の中で感覚や記憶と混ざり合い、
別のかたちへと変換しながら認識しているのではないかと思います。
そして、その断片をまた自分の中で束ね直し、
「見えている像」をつくり上げている。
今回の作品では、
その“認識がほどけ、再び束ねられていく感覚”を、
ひとつの花束をモチーフに表現しました。
大林京太郎
今もなお、地球の息吹を上げ続ける阿蘇山。
遠い過去、すべてを無に帰し大地を震わせた自然の驚異は、 皮肉にも私たちを圧倒する壮大で比
類なき美をこの地に刻みつけた。
見上げるほどに高く突き抜けた青空。
影を落としながらどこまでも広がる瑞々しい草原の緑。
その牙を剥いたはずの大地の上で、草木は再び芽吹き、鳥は風を捉え、動物たちは命を繋ぐ。
そして人々は、この生きた火山の足元で祈るように日々の営みを重ねていく。
多くの人々が訪れる観光地として、あまりにも「当たり前」にそこにある風景。
心を奪われるほどの静寂と平穏。
しかし、この激動を孕んだ美しさは、決してあらかじめ約束された日常などではない。
いつ崩れてもおかしくない、危うい均衡の上に奇跡的に咲いた一瞬の姿だ。
「Still, life ── まだ、生きている」
絶え間ない大地の脅威と、それに寄り添い、せめぎ合う強靭な生命の脈動。
奇跡の連続の上に成り立ち生と死が隣り合う阿蘇の「今」をここに写し出す。
ΦiL
“死ぬ・消える・存在しない”
これらは日々、必ず自分以外に起こり続けています。
当然そんな他人事が、いずれ自分にも訪れることを知っています。
その時には、自分の死は他人しか知覚することができません。
今、このような他人事を知覚できることは、生きている証拠になります。
Mizuki
小豆
或る日まで
この身体は
朽ちるを待つだけの容れ物だった
“ 生きる意味をくれるの?嬉しい ”
“ そうだよ ”
と君は笑って、わたしの神様になった
花を手向けて 命を洗った
秋
Lamp
生きることは滑稽だ。
馬鹿馬鹿しく、恥ずかしく、毒々しいほど鮮やかな平凡だ。
死はいつだって美しくみえる。
完璧に完結し、満ちた月のように静かにすべてを語りはじめる。
そんなことを考えていたら、
何度も使ってきたはずのHAKUBAの額縁が、
まるで遺影のような相貌を見せはじめた。
それなら
写真から、死の気配を引き離し、ただひたすらに脈絡の無いこの生を見出してみよう。
わたしやあなたの、馬鹿馬鹿しく恥ずかしい生を、
荘厳な死が囲うこの光景は、何を問い、なにを見せようとするだろう。
「生と死の同時性としてのStill,life」
茗荷
「still, life」
この言葉を与えられたとき、自分ならどう解釈して写真を展示するかを考えました。
私は普段から自然風景を撮っていますが、自然の環境というのは、決して同じ姿のままそこにあるわけではありません。
私が平日仕事をしている間も、食事の間も、眠りについている間も、山や森では風が吹き、雨が降り、命が生まれ、消えていきます。私が見ていないところでも、環境は刻一刻と変化し続けています。
写真というものは、そんな二度と戻らない一瞬を切り取って、静止(Still)させたものです。
だからこそ、私は自分が撮った静止画を見つめるときに、「いま、この景色はどうなっているんだろう」と考えます。
あの木はまだ立っているのか、それとも、もう見られない景色になってしまったのか。過去の一瞬として静止した写真から、今もどこかで続いているはずの風景の「現在(life)」を想像すること。それが、私なりの「still, life」の解釈です。
そして、この「常に変わり続けている」という事実は、なにも山や森といった大自然に限った話ではないと思っています。
私たちの身の回りの環境も同じです。
職場、友人や家族との人間関係、自分を取り巻く環境。昨日と全く同じに思える今日でも、実はほんの少しずつ変化しています。
今回展示している写真を通じて、そんな「変わっていく様」や、これまでの軌跡、そしてこれからの変化に、少しだけ思いを馳せてみてほしいです。
なんとなく過ぎていってしまう日々の生活を「今だけのもの」として、少しだけ大切に過ごせるかもしれない。
私はそんなふうに考えています。
画面越しではありますが、この展示が、見てくださった方の身近な環境の「今」を見つめ直す、ほんのささやかなきっかけになれば嬉しいです。
いろは
不自然の中の自然を不自然で消して自然にする過程。
tommy
島には、火山と海。二つの大きな自然があった。
重く、近寄りがたいものと、広がりながら受け入れるもの。
そのあいだで、人は営み、失い、また作り直しながら暮らしている。
本展示では、上段に三原山の火山風景、中段に自然・文化・人の営み、下段に海を配置し、伊豆大島で体験した時間の流れに風の印象を与えて三層構造で表現した。
黒いスコリアが広がる裏砂漠、霧の湿度、火山への畏怖。
人の痕跡と再生、そして旅の終わりに広がる海。
海辺に積もる黒い砂は、かつて火山から生まれ、長い時間をかけて砕かれながら辿り着いたものでもある。
伊豆大島は観光客の減少や産業の衰退、人口減少という課題を抱えている。
「今はまだなんとかやっている。でも30年後には——」
島民の方の言葉が印象に残っている。
Still,life には、人の営みを意に介さないそこにある「静物」の自然と、尚ここに生きているという二つの意味を重ねた。
失われつつあるものの気配と、それでもなお続いている営み。
この展示を通して、伊豆大島という場所が、誰かの記憶に少し残り、次の旅先になればと思う。
nako
「Still,life-まだ、生きている」。
このテーマと向き合うにあたって、目を向けたのが「見る」という行為だった。「見る」という行為は、生きている人間にのみ許されているものである。
人間の瞳孔は、より多くの光を取り込もうとして暗いところで大きくなる特徴がある。今回の展示は、そういった特徴を持つ瞳孔をモチーフとして写真を組んだ。暗いところにいる時瞳孔が広がるように、私も目を開いて今自分が置かれているこの環境をよくよく見る必要があると思い、今回写真展のタイトル兼テーマでもある「Still,life」と合わせて表現した。
中心となる写真に起用したのは卵。殻を破らなければ生きているのか死んでいるのか、はたまた何が生まれてくるのかも分からないという点が卵にはあるが、私はそれを「可能性の塊」と捉えた。社会人一年目である今の自分を卵に喩えて、これからどういう風に生まれ、どう転ぶかも自分次第だという意味合いを込めている。また、卵の模様が私の頬にあるほくろに似ていることから、何だか私みたいだなと思い、主題として中央に据え置いた。
上から2枚を希望・有機物、下2枚を絶望・無機物のエリアとし、対比を図った。瞳と岩の窪みの写真のみ他の紙とは異なるフォトマットという紙で印刷し、人肌や岩肌の質感が損なわれないように工夫を図っている。
一番上の写真は、日陰から日向に伸びている花をぼかして撮影したものである。暗闇(過去)を抜け出した自分の姿を花に喩え、光(未来)へ向かって歩む様子を表現している。敢えて全体をぼかしているのは、未来というものは不明瞭なものであり、今後好転するか暗転するかは誰にも分からないという様子を表したかったから。その写真と対比になるように、一番下の写真は水面に浮かぶ光を撮った写真を置いている。絶望に満ちた暗闇の中でも光(希望)を探してもがき続けなければいけないという意味合いを込めて、光に溢れている一番上の写真を仰ぎ見るように一番下に配置した。
卵の中では、もしかしたら生まれようともがいているのかもしれないし、怯えて縮こまっているのかもしれない。どう生まれるかも、これからどう育つかも全て自分次第。だってまだ社会人の「卵」なんだもの。お手柔らかにお願いしますよ、と言ってみる。実はそんなダブルミーニングも込めている。
どうか今後は目の前の問題から目を背けることなく向き合えたらと、私なりの願いを今回の展示に込めた。「Still,life」という今の状態を自覚しつつその先を見るべく、希望も絶望も全部抱えながら歩んでいけたらと思う。
Mayumi
「普通」に生きることが、難しい。
「ちゃんと」生きたいのにままならない不安定な存在。
それでも、夢中でシャッターを切る、その瞬間は、
“ここに存在していていい”と思える感覚が戻ってくる。
私にとって写真を撮ることは、表現というより、生きるための行為なのかもしれない。
写真を始めてから、たくさんの人と出会った。
一人では繋がれなかった縁が、写真を通して少しずつ広がっていった。
言葉を交わすのが苦手でも、同じ時間を共有することはできた。
写真を通して、人と繋がることができた。
うまく生きられない。
それでも、まだここにいる。
Still,life
そんな私と、私の大切な人たちが確かに存在していた記録。
Day1
Day2
航酉
今回初めて参加した航酉と申します。私はまずStill,life まだ、生きている。とは何かディグっていきました。「まだ、生きている」は現在進行形で生きていて、「まだ」がついているので死に近い状態だと考え、死に抗いながら生きていると私は考えました。ではなぜ死に抗いながらも生きられるのか、私は人は何かしら「希望」があって生きられるのだと考えました。
そこで、今回私のStill,lifeの解釈として「希求」という言葉に辿り着きました。
希求とは希望を強く求めるという意味があり、苦しみの中にいながらも、何かを求めてやまないという「切実な希望」が人の心を動かし、まだ、生きているに当てはまるのではないかと私は考えました。
写真の説明
上2枚のお花と線香花火の視線が下↓に向いているところで「苦しみ」をイメージしました。生花、線香花火はそれぞれ少ない命なので、切ない思いを込めています。
下2枚がそれぞれ「希望」をイメージしていて、上2枚の苦しみの先の希望の光を表しています。
最後に下2枚の希望と真ん中のたんぽぽの写真を合わせることで、たんぽぽの写真から視線が上向き↑になり、ここで「苦しみながらも希望を持って生きる」僕にとってのStill,lifeになります。
鈴鳴
4年前の夏から、私は空を撮り続けています。病める時も健やかなる時も、ただただ空を見上げ、シャッターを切ってきました。過ぎ去った日々の記憶も、写真でいつか見返すことで「まだ、生きている」と実感できるからです。
今回の展示では、中央に飾った作品「awaglass」を軸に、朝から夕暮れへと移り変わる空の美しさを、青のグラデーションで表現しました。写真を撮り続けることの喜び、そして空がいつも私に与えてくれる喜びが詰まった作品です。
多くの皆様から温かいコメントをいただき、本当に光栄でした。
最後に、このような素敵な展示の機会を与えてくださった運営の皆様、素晴らしい作品を並べてくださった出展者の皆様、足を運んでくださった来場者の皆様、そしてWebギャラリーをご覧くださっている皆様に、心より御礼申し上げます。
これからも、空の美しさを丁寧に切り抜き続け、 #空を捕まえて いきます。どうか温かく見守っていただけたら嬉しいです。
Ko.
My essentials
最近は自分でも良くわかるくらい心身ともに疲れ切っている。
仕事は嫌いではないけれど流石にちょっと限界が近い。
たまにある休日は近くの喫茶で煙草を吸いながらぼーっとする時間にしている。
喫茶店に行くだけのためにお気に入りの革ジャンを着てブーツを履き両手にアクセサリーをつけてカメラを持ち家を出る。
自分の好きなものを身につけカメラで住んでいる街の中の美しい光や景色を集めるのが好きだ。
前ほどストリートは撮らなくなった。
好きだけど今は気が向かないことが多い。
心が枯れていてそういった写真が今の自分にとっては重い気がしている。
食の好みや好きなファッション系統が変わるように撮る写真、好きな写真も変わっていく。
そして写真の変化は心の状態にかなり影響されると思う。
ここにある写真たちが今の自分に必要なものなんだと思うし
写真を撮ること自体が自分にとってStill,lifeなんじゃないかなと思ったりもしている。
昔話題になったしいたけ占いを久しぶりに見たらお前はここ数年頑張りすぎてるから今年は休むことを覚えろよと書かれていた。
さてと、写真を撮りに行ってきます。






























































